昨日(24日)、スポーツクラブのサウナで若いのが、野球がメダルを取れなかったことについて、口を揃えて、だらしない、星野は会見に出られるのか、などと話しているのを聞かされた。しかし、野球はどうみてもオリンピックには向いていないと思うので、あまりメダルにこだわっても意味がない。大リーグがどうこうという議論があるようだが、日本もベストメンバーのチームを作って送っている訳ではない。平素からチームとして戦っている訳ではない、寄せ集めの即席チームで競うわけである。こうなると、何の戦いであるのか良く分からない。「オリンピック憲章」で否定されている国と国の争いと解釈するしかなくなるのではないのか。参加国もわずかに8ヵ国に過ぎない。今回が最後というのは妥当であろう。
そもそも、オリンピック種目を徒に増やすことに色気をみせるのは、スポーツ界の人々の妙な願望のように思われる。その背後にあるスポンサーなどとつるんでの勢力拡大、これに伴うスポーツ関連企業の利益の増収。それが狙いだろう。国も国家の威信をかける必要のある催しと見なし、従って、経費を出す(何パーセントなのか詳細は知らないが)。餌を撒くので、集まってくる。
国際試合は何もオリンピックに出ずともできる。前世紀の創始者の理念など、もうどうでも良くなってきているのだから、こういう大袈裟な祭りは廃止を含めて見直す必要があると思われる。とは言っても、まだ1世紀くらいは続くことになるだろうが。
とりあえず、地域や文化の違いによらず、グローバルに行われている体育に種目を限るということが可能性としては考えられる。柔道などはもともと日本のものであったのが、国際化してオリンピック種目にしてしまったばかりに、神髄が失われるということが起こった。そういう弊害もあることを忘れてはなるまい。
もっとも国際化と言えば、大相撲のそれも、制度全般を見直さなければ上手くいく訳はない。部屋が、親方がどうのこうのと言っている間は問題はなくならない。それなのに、ああしろ、こうしろと言うのは目先の見えない人達のくだらない議論のように思われる。国際化路線を走るなら、世界中に道場(「部屋」)を作って、オリンピック種目入りでも狙ってみたら良いではないか。オリンピックが続いている間に。柔道同様、神髄が失われるだろうが、生き残りの代償だと思えばよい。どうしても国技に拘るなら、外国人など入れるべきではなかった。曖昧なことを行うのは破滅への確実な道だ。ローマ帝国が弱体化した原因の一つは、傭兵を使って国を守ろうとしたことだろう。
もっとも、言ってもせんないことだ。
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